善と偽善

あるサイトではなぜか分らないが、「善と偽善」についてのトピックが乱立して活発に質問や回答、議論がなされていた。
それに触発されて、僕なりに考えてみた。
僕は国境なき医師団に対して、毎月小額ながら寄付を行っている。
この行為自体は、善なのか偽善なのか。
行っている僕が率直に思うところは、この行為は「偽善」である。
理由は簡単で、僕がこの寄付を行っている理由が、善意だけではないからだ。
他人に施しを行うという行為に、優越感やあるいはそれに似た感情を起こされる人は多いのではないか。
少額の寄付ではあってもそれを行っているということを表明すれば、回りや社会からの尊敬を集められることもある。
つまり僕はこの寄付を行うことによって、優越感を感じ取り、そして周りからの評価が高まることを期待しているわけである。
これを偽善といわずして何と言おうか.
それではその偽善は悪いことなのだろうか。
ある行為を善意で行おうと悪意で行おうと、結果として誰かの助けになれば良いことなのだ。
善であっても偽善であっても、その結果さえ良ければ良いではないか。
少なくとも、行わない善よりも、行う偽善のほうが良いと思う。
金持ちが寄付行為をおこなうと必ず攻撃してくる人がいる。
そういった人たちにぜひ言いたい。
他人の行為を偽善と罵る前に、自分は善を行っているのか、と。
その金持ちの寄付行為が、名誉欲であったり税金対策であったとしても、その結果さえ良ければ良いではないか。
偽善を許せる広い心を持たない人間に、善行はできないものである。

無學童子
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