君がそう思うのは自由だが、私からは何とも言えない

タイトルは、英国BBC製作の政治ドラマ「野望の階段」(原題 “House of Cards“(1990))の主人公、フランシス・アーカート首相の言葉である。


米国との核密約に関して、日本政府は一貫して否定し続けてきた。
しかしながら、その存在は公然の秘密となり、アメリカの公文書公開で明らかになったにもかかわらず、それでも否定し続けてきた。

現政権の調査により、その存在が公式に確認されたわけだが、重要な文書のかなりの部分が行方不明だという。

僕は非核三原則なんてナンセンスだと思うし、必要なら日本も核武装すべきだと考えている。
ただ、それは世論などから現実的ではなかったし、これからも現実的な選択とはならないだろう。

実戦配備するなら秘密裏に行わなければならないし、しないとすれば謀略的に敵国に疑心暗鬼を起こさせるような手法をとるしかない。

それはさておきこの問題で非常におかしいと感じるのは、もう一方の当事国である米国が公文書を公開することによってその存在を認めたにもかかわらず、日本側で全く認めなかったと言うことだ。

実効性という面から見ればこの密約は既に「歴史」の範疇に入るにもかかわらず、おそらく公文書を破棄してまで隠そうとした。

政治的な決断というものは、特にこういった重要なものは、関係文書の破棄を絶対にすべきではない。
なぜならば、後からの検証が不可能になるからだ。
検証しなければその政策の功罪は永久にわからない。

もちろん、そういった検証を行って欲しくないから隠蔽するのだろうが、関係者の存命中非公開であれば良いのではないだろうか。
関係者が死に絶えるであろう50年から80年くらいでの公開はして欲しいものである。

証拠となる文書が残っていなければ、特に今回のように別の当事国から明らかになったにもかかわらず、日本側で関連文書が破棄されてしまっていては、日本側の正当性が全く証明できないどころか、関係した当事者に悪意があったと見られてもおかしくない。

公然の秘密に対して政府はアーカート首相のように「君がそう思うのは自由だが、私からは何とも言えない」とでも言えないものだろうか。
その方が、文書破棄よりもよっぽど政治的に正しいことだと思う。

mugakudouji
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