物は高くあれ
大きな声では言えないが、環境問題というのをほとんど考えたことがない。
暑ければクーラーをがんがんかけるし、買い物袋なんか持ち歩かない。
「あと数年後に地球は大変なことになる」なんていわれても、明日のことすらまともに考えられない状況で、数年後といわれてもぴんとこない。
海面上昇でマーシャル諸島が沈没するといわれても、日本ではないので自分との関係が見出せない。
結局のところ、僕にとっての環境問題は、今のところ他人事に過ぎず、何を言われてもきれいごとにしか聞こえない。
僕が実感するのは、おそらく東京湾の海面が上昇した時だろう。
あらためてこう書くと、なんだかかなりの不届き者のように思えるが、僕と同じように考える人は、程度の差こそあれ、結構いるんじゃないだろうか。
では、環境問題を解決するにはどうしたらよいのか。
まずは、私のような人間に、環境問題を身近な問題と認識させることだ。
最も手っ取り早いのが、お金だ。
環境に良くないものはものすごく高く、良いものは安く販売する。
こうなるだけでかなり改善されるはず。
それも、レジ袋の5円や10円といわず、確実に、ボディーブローのように効いてくる、超高額になるのが良い。
例としては、普通の乗用車に乗っている人はリッター300円、ハイブリッドカーに乗っている人は100円とか。
あるいは、ペットボトルで買うと500円、リターナブル瓶で買うと300円、容器持参だと100円とか。
ここまでやればさすがの僕も、環境は考えなくても、自分の懐が痛むのは嫌だから、購買行動は環境に適したものになるだろう。
環境問題を考える上で大事なのは、私のような自己中心的な人間が、生活レベルを落としてまでそんなことに協力するような考えはない、ということだ。
われわれの豊かさは、大量生産と大量消費に支えられてきた。
人件費は高くなったのに、物の値段はどんどん下がってきた。
物をふんだんに使う今のわれわれの生活レベルはは、近代化以前の王侯貴族なみのレベルだ。
なぜならば、当時は物は高く、貴重であり、一部の人しかもてなかったからだ。
余談だが、学生時代に読んだ近世の文書(もんじょ)で、武士が二人の従者を従えて旅行をしたという日記があったが、どこかの宿場で昼間に三人で食べたそばの値段と、その晩宿場女郎で遊んだお金と同じだったという。
それほど人件費(この場合は女郎)は安く、物(そば)は高かったのだ。
今ソープに行ったら、そば三倍分の値段なんてありえないのだ、超高級そばは別かもしれないが。
閑話休題。
所得と比較して、そんなに物が高かったら、大事に使うのは当たり前だ。
今は、物が安くて手軽になってしまったから、どんどん買ってどんどん捨てている。
物ではないが、エネルギーだって一緒だ。
クーラーで快適>電気代
という気分だから、電気をどんどん使う。
本気で環境問題を考えるなら、所得を低く抑えた上で、物を高くすることだ。
そうしたら消費社会なんか崩壊だ。
それが嫌なら、テクノロジーで解決するしかない。
オゾン層を増やすテクノロジー、二酸化炭素を減らすテクノロジー、エネルギー効率の良い動力の開発、どうしよもなくなった危険な廃棄物を宇宙の彼方に格安で葬り去るテクノロジー、etc。。。
人間の意識を変えることより、そちらのほうが簡単なのだ。