我々がテレビを見放すとき

少し前の話になるが、7月13日のマスコミ各社よりコピーワンスが9回になるという報道があった。
詳細はそれらの記事を見ていただくとして、ここでは私の私見を述べたいとおもう。
こういった話題でいつも参考になるのは、小寺信良氏のコラムだ。まずはそれを読まれよ。
著作権は大事だ。それは間違いない。
だが、何らかの技術によってそれを守ろうというのは、本当に幸せなことなのだろうか。
確かに、海賊版は大きな経済的損失を与えている。
それによって、正当な権利者に、本来入るはずだった金銭が、入らなくなるというのは、次の新たな創造にお金が流れないことを意味する。
これでは文化的衰退を招く。
だが、これは技術的に阻止可能なのだろうか。
現実問題として、どんなコピーガードも、必ず破られる。
あるいは、コピーガードそのものを回避する手段というのも必ずある。
海賊版を作って儲けようという輩にとっては、技術的なコピーガードは、それほど役に立たないのが現実だ。
それではコピーガードとは何のためにあるのだろうか。
海賊版の阻止ではなく、カジュアルコピーの阻止のためにしか役立ってない。
デジタル放送のコピーワンスは、カジュアルコピーを阻止することしかできない。
コンテンツを違法にコピーして商売しようとするやからにはまったく役に立たず、真剣にそのコンテンツを楽しもうとする視聴者の妨害しかしていない。
小寺氏も指摘しているが、今回のこの方式では、孫コピーができない。
つまり、レコーダで録画したコンテンツを携帯プレーヤーなどで楽しむためには、レコーダから直接携帯プレーヤなどにコピーできないといけない。
間にPCを挟むことができないのだ。
あらゆるプレーヤーへの接続保証なんて、現実として無理だろう。
そもそも、1回のコピーが9回まで可能になることに、どれほどのメリットがあるというのか。
今、アナログ放送を録画して、実際にそれを平均何回コピーしているのだろう。
それに、機器の問題はどうだ。
既に出荷されているデジタル対応のテレビやレコーダはどうなるのか。
地上デジタル対応の機器への買い替えがあまり進んでいない中、既に購入してしまった先進的な人たちはが、この変更の恩恵に浴せないという馬鹿を見ることになるのか。
視聴者にとって著しく不便で、そして大きな失望を招きかけないデジタル放送のコピーワンス問題。
この問題をきっかけに、テレビがメディアの王様でなくなる時期が、大幅に早まるかもしれない。
テレビ以外にも、娯楽はたくさんある。
視聴者抜きに議論を進めてきたつけは、必ず返ってくる。

mugakudouji
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