超劇的ビフォーアフター

価値観などがあることをきっかけに劇的に変化することをパラダイムシフトという。
種類や規模の大小こそあれ、広義に解釈すれば頻繁に起こっている気がする。
たとえば携帯電話の出現。
これによって我々の生活習慣は大きく変わった。

変わっていないと主張する人もあるかもしれないけれど、それは変わっていることに気づいていないだけ。
変化とは、往々にして当事者は気づかないものだ。
たとえば明治維新を例にとってみよう。
実際のところ新政府が樹立しても、しばらくの間農村では江戸時代とあまり大きな変化はなかった。
その違いを実感できるようになるのは、地租改正で税金が現物から金にかわったこと、そして徴兵制の施行であろう。
そういった部分を除けば戦後農地解放が行われるまで、江戸自体と大差ない生活が続いている。
しかしながら、やはり明治維新は封建制度の崩壊と近代国家への移行という面で大きな変革であったことに間違いはない。

東日本大震災はパラダイムシフトが起こるには十分すぎるほどのインパクトがあった。
現段階ではその直接的影響しか目に見えていない。
だが今は目に見えなくても、今後数十年にわたる変化がおそらくこの震災を境に起こっていることが後年わかるだろう。

誰でも思いつくのは、やはりエネルギー問題か。
そもそも僕は節電なんてことを考えたことはなかった。
きっと皆そうだろう。
考えていたとすれば節約的側面からだろう。
まさか電力が足りなくなるなんて、終戦直後じゃあるまいし考えたことなどなかった。

電力不足の問題は一朝一夕には解決できるものではない。
しばらくの間は休止していた火力発電所の再起動と、ガスタービン発電所の新設で乗り切るのだろう。
だが高コストで二酸化炭素を出しまくるLNGでの発電に頼るというのは、長期的に考えて非常に難しいだろう。ガスタービンも発電効率が悪い。
もっともよい選択はやはり原子力だと思う。
特に新型の原子力発電設備は効率がよく安全性も高い。
しかしながら、ことがこうなった以上原電の新設はもちろんリプレイスも、そして休止中の原電の再稼働すら難しいだろう。
頼れるのは自然エネルギーでの発電ということになるが、水力・風力・太陽光・地熱で原発の不足分をすぐに転換できるわけもない。
そうなるとやるべきことはただ一つ、節電しかない。

震災以降東日本では節電状態となっているが、もしかするとこれが正しい状態なのでは、と気がついた人も多いだろう。
今までが必要以上に明るすぎたのだ。
エスカレーターもいらない。もちろん高齢者や体の不自由な人には問題だろうが、それは別の方法で対処すべきことだろう。

電力問題ほどはわかりやすくないが、おそらくより進行していくのは「モノ離れ」だろう。
ここ数年クローズアップされているのは「若者の○離れ」というキーワードだ。
賛否両論あるけれど、少なくともその前の世代と何かが違ってきていることは確かだ。
わかりやすいのがお金の使い方。
昔は無理をしていろいろ買っていたようだが今は無理をして高いものを買うのは格好が悪いらしい。
経済的なことを考えれば、今後日本人が今より金持ちになることは考えにくい。
そうなれば、必要なモノ以外は持たないという選択肢の中で幸せを見つけていくしかない。
モノを買い続けることが幸せという時代ではなくなっていくだろう。
所有しないでも豊かな生活を送れるということが、今後理想になっていくに違いない。

いろいろな変革が進行していくのだろうが、怖いのは日本離れが進行することだ。
東北にはいろいろな部品工場があったが、そこに依存していた世界各国の企業で生産に障害が起きている。
ということは、今後はリスクヘッジのために日本から世界各地に分散していく可能性が高い。

僕が死ぬ頃、日本は先進国でいられるだろうか?
先進国であることが価値のない世界に変わっているかもしれないが。

無學童子
時事東日本大震災

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