脱線事故と時間の正確性の因果関係

JR脱線事故 ニューヨーク・タイムズ紙が論評

 【ニューヨーク=長戸雅子】兵庫県尼崎市のJR脱線事故は米メディアでも連日報じられているが、27日付のニューヨーク・タイムズ紙は「時間への強迫観念が原因」との見出しをつけた記事を掲載、時刻表通りに運行しなければならないとする強迫観念が事故の背景にあり、時間の正確性や効率性をあまりに重視する日本社会に警鐘を鳴らす意見が出てきていると分析した。

 記事は「世界のどの国でも90秒の遅れは時間通りとみなされるが、日本では数分間隔で運行される電車に頼る通勤客に影響がでることになる」との書き出しで、定刻に固執する日本の”特異性”を指摘した。

 運転士がこの90秒の遅延を取り戻すためスピードを上げていた可能性があるとし、列車の遅れは英国では5分、ニューヨークでは6分以上の場合を指すのに、日本では一分の遅れでも車掌がわびると紹介した。

 そのうえで「安全性と(時間の)正確性では日本の交通機関が世界で一番だが、日本人はもう少しリラックスし、2、3分の遅れは問題ではないと思うようにしたほうがいい」との交通問題専門家の話や「事故には日本人全体に責任がある。日本社会には余裕がなく、それが運転士が九十秒の遅れを埋め合わせようとした原因だ」との地元住民の意見を紹介している。
【2005/04/28 産経新聞大阪夕刊から】

ご指摘の通り、とは思うものの、やや異論もあり。

これまでの日本人の時間などの正確性は、ゆとりがないのではなく、一種の職人気質や情熱といった、プロジェクトX的な精神で支えられてきた。発車したことがわからないように静かに発車する、という元寝台列車の機関士の言葉とも通じている。この感覚で行っていれば、件の運転士は決して追い詰められるようなことはなかったとおもう。
ダイヤは「正確が当たり前」だ。だが、それで安全性を犠牲にするようなことはしない。そういった重要事項の優先順位は、職人気質的運転士なら絶対に間違えることはなかった。そして、絶対に無理はしなかった。

職人は人間である。だがJR西は、プロとして最善の仕事を目指す、職人運転士を育成してこなかったのではないか。会社は正確にミッションをこなすロボットが欲しかったのだろう。だが、人間をロボット扱いすることは不可能だ。そこの歪が、今回の事故という形で現れた。
日勤などの話を聞けば、従業員を人間扱いしていなかったことがよくわかる。そして、乗客も人間扱いしていなかった。

mugakudouji
JR福知山線脱線事故時事

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