007 ドクター・ノオ
007 ロシアより愛をこめて
007 ゴールドフィンガー
007 サンダーボール作戦
007は二度死ぬ
女王陛下の007
007 ダイヤモンドは永遠に
007 死ぬのは奴らだ
007 黄金銃を持つ男
007 私を愛したスパイ
007 ムーンレイカー
007 ユア・アイズ・オンリー
007 オクトパシー
007 美しき獲物たち
007 リビング・デイライツ
007 消されたライセンス
007 ゴールデンアイ
007 トゥモロー・ネバー・ダイ
007 ワールド・イズ・ノット・イナフ
007 ダイ・アナザー・デイ
007 カジノ・ロワイヤル
007 慰めの報酬
007 スカイフォール
007 スペクター

007 カジノロワイヤル
ネバーセイ・ネバーアゲイン

評価付記事の評価基準 - 無學童子の事件簿

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☆★★★★ 最悪
☆☆★★★ あえて見る(読む)必要なし
☆☆☆★★ 面白い
☆☆☆☆★ 何度も見たい(読みたい)
☆☆☆☆☆ 名作

スパイ・レジェンド - 無學童子の事件簿

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映画の感想やあらすじという前に、このクソダサい邦題をつけたのは何故だ?と問いたい。
現代は"The November Man"なのに。。。
ノヴェンバー・マンとは、冬の直前ということであり、つまり「後には何も残らない」という、非情なエージェントのことをさす。
そういう深い意味があるのに、「スパイ・レジェンド」じゃ何も意味しないだろうに。
現代のままでは日本人には分からないから邦題をつけるわけで、邦題も意味が通らないのでは全く意味が無い。

ザ・ノヴェンバー・マンというコードネームを持ち、さまざまなミッションを遂行してきた伝説的CIAエージェントのピーター・デベロー(ピアース・ブロスナン)。スイスで引退生活を送っていた彼だが、かつての仲間たちが何者かに殺害されているのを知って彼らを守ろうと動きだす。だが、元同僚で愛していた女性を殺され、その犯人が自分がかつて教育してきた現役エージェントであることを知る。彼と壮絶な戦闘を続けながら、事件の全体像をつかもうとするデベロー。やがて彼は、ロシア大統領選をめぐる陰謀の存在にたどり着く。

シネマトゥデイより

この映画の面白いところは、主演のピアース・ブロスナンがどうしても007を思い起こさせてしまうという点。
ちなみにボンドガールはオルガ・キュリレンコだが、これもまた本物のボンドガール。
ブロスナンはこの時61歳だったはずだが、渋くていかにも「往年のエージェント」という感じが格好良い。
ブロスナン時代の007ほどの荒唐無稽さは感じさせないシリアス路線だが、敵からの銃弾が全く当たらないあたり、やはり荒唐無稽である。

原作は東西冷戦時代のIRAとCIAの話であるが、現代に置き換えCIAとチェチェン紛争時代以降のロシアとの話になっている。

元上官のジョン・ハンリーを演じるビル・スミトロヴィッチは「クライム・ストーリー」でレギュラーだったようだが何故か記憶にない。
「スタートレック:ディープ・スペース・ナイン」では第57話と第58話「2024年暴動の夜」でウェブという印象的な中年男役をやっている。
デベローの教え子を演じたルーク・ブレイシーはなかなかのイケメン。今後ブレイクするだろう。

ストーリーは月並みだが、007を彷彿とさせる点はそれなりに面白い。
アクションも結構良いかな。
☆☆★★★

終戦のエンペラー - 無學童子の事件簿

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Wikipedia等を見ても、「アメリカ合衆国の映画」となっているが、仮に本当にそうだとしても、とても米国民に受け入れられる内容では無い。
この映画の国籍は米国なのだろうが、血統で言えば間違いなく日本の映画である。

さて、これは「プライド・運命の瞬間」と同様、天皇陛下の戦争責任について描いた映画である。
「プライド」が東京裁判を通じて、日本側からの天皇無罪論を唱えたものとするならば、これは占領するGHQ側の都合を描いた物である。
ただ、「プライド」は基本的に裁判記録に沿った話なのに対して、本作はほぼフィクションであることだけは留意して欲しい。

1945年8月30日、GHQ最高司令官マッカーサーは日本に上陸。連合国軍(事実上の米国)による日本占領が始まる。
折から米国本国では、天皇陛下の訴追を求める声が多数をとなっていた。しかしながら、極東における防共と、後に大統領の座を狙っていたマッカーサーにとっては、日本の統治に失敗することはあり得ず、天皇陛下を裁くことよりも、生かして協力させることが日本統治の鍵と考えていた。
その為、知日家のボナー・フェラーズ准将に、天皇の開戦責任についての調査(実態は、天皇陛下に開戦責任がないとする証拠探し)を命じる。
フェラーズ准将は調査を開始するが、彼自身も開戦前米国でに知り合った元恋人の島田あやの安否を気に掛けていた。
10日間という短い時間の制約の中で、フェラーズは東條英機を始めとする日本の旧首脳らと接触し、聴取していく。
だが、立憲君主制故のあいまいさと、また白黒をつけない日本の文化により、関与したとも不関与だったとの証拠も、全く見いだせないのであった。
しかも、恋人の島田あやは空襲で亡くなっていたという事実にも接する。
フェラーズ准将は悲嘆に暮れるが調査は継続。その結果、御前会議で天皇が日露開戦時の明治天皇の御製を引用して開戦への反感を示したこと、木戸からの極秘の証言として、天皇が閣僚側近らに対し「降伏」の意志に「同意してほしい」と求めたことが終戦の決め手となったことを知らされ、確信を得る。
最終報告を聞いたマッカーサーは、証拠が何もないことに不満を示す。しかし、天皇陛下の人物像に強く興味を持ち、会談を準備するようフェラーズ准将に命じる。
米国大使公邸での会談で、天皇陛下はマッカーサーの握手に応じ、タブーとされていた間近での写真撮影も受ける。そして、「全責任は朕にあり、懲罰を受けるのは日本国民ではない」と述べる。
マッカーサーは、懲罰の話をするのではなく、日本の再建のためにあなた陛下の力を貸してほしいと応じるのであった。

まあ、ほぼフィクションなので、見る価値があるかと言えばなんとも言えないのだけれど、終戦直後の混乱を米国側の視点でよく描けているので、その点は見るべき所はあると思う。

これは冒頭にも述べたとおり、米国資本の映画なんだけど、米国での興行成績は3億円程度なのに対して、日本での興行成績は約11億円。
しかも制作は奈良橋陽子。彼女は劇中に重要な人物として出てくる関屋貞三郎の孫であり、ゴダイゴなどをプロデュースした人物。
実態は、ハリウッド映画の仮面を被った日本映画なのだ。

史実、と言うわけでもないし、島田あやの下りは全く不要だな等と思ったりするところから、映画としての評価はあまり高くない。
☆☆★★★

プライド・運命の瞬間 - 無學童子の事件簿

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これはねぇ、公開当時とても問題になった映画。
左側からはもちろん、アメリカ、中国、朝鮮、インドからすら叩かれた。

僕は公開されたばかりの時に、彼女と一緒に渋谷の映画館で見たのだが、劇場内はほとんどが高齢の方。大学生はどうやら僕らだけだった。

本作は、主人公の東條英機を主人公に、連合国による極東国際軍事裁判を、批判的な視点で描いた物である。
また、ラダ・ビノード・パール判事の視点と回想も交え、日本が支えたチャンドラ・ボースがインド独立に貢献した様も描かれている。

人間・東條英機について描いていること、極東国際軍事裁判が法の不遡及の原則に反すること、連合国軍による戦争犯罪が裁かれないのは不公平であること(原爆による一般市民の虐殺)、天皇の戦争責任の描き方、などなど、見るべき点は沢山ある。

さて、この映画の題名の意味だが、僕の見るところ、それは東條英機の天皇陛下に対する忠誠心であろう。
彼が直面するのは、重要な決定に於いて東條英機が天皇陛下の意思を無視するわけがない、しかしながら、そうであるならば、開戦を決定した責任が天皇陛下にあることになる、と言う点である。
そこで彼は偽証をせず、そして天皇陛下に責任が及ばないような論理を立て、証言台に立つのである。

言うまでもないことだが、天皇陛下は帝国憲法下でも、日本国憲法下でも、世俗の政治権力を越えた日本国民の象徴であり、政治的実権はないのである。
しかしながらこの点に於いて帝国憲法は欠点があり、臣下が決定を上奏しない場合、天皇陛下が政治決断をせざるを得ないのである。
帝国憲法下に於いて聖断がなされたのは、二・二六事件と大東亜戦争の終結の二つである。
従って、開戦責任はないわけだが、天皇を処刑せよという米国世論が高い中、裁判で堂々と主張した東條の最後は極めて重い責任を全うした、と言うことなのである。

極めて理不尽な裁判ではあるが、日本はこれを受け入れてサンフランシスコ講和条約を結ぶことになった。
しかしながら、講和条約後に戦犯は名誉回復がなされている点は注目して頂きたい。

また、日本の戦後はこの理不尽な裁判と講和条約とともに、罪無き一般市民を大量虐殺した二発の原子爆弾の投下を不問に付したこと、極めてご都合主義で即席で作られた憲法から成り立っている、欺瞞と矛盾に満ちた状態の国であることを書き添えておく。

この映画が、右翼の映画だというレッテルを貼って忌避するのはやむを得ないだろう。
しかしながら、これが正義だと信じている人が多くいて、少なくとも嘘は描かれていたいと言うことも分かってほしいものである。
☆☆☆☆★

津川雅彦氏の怪演は爽快だ。

キック・アス」の続編。
批評家にも評判の良かった前作とは異なり、散々の評価。

ストーリーはWikipedia参照。

残念なことに、前作ほどの魅力が無い。
多分一番大きいのは、ヒット・ガールが3年経って大きくなってしまい、小学生なのに強かった前作ほどのギャップを感じられなくなってしまったところだろう。
また、キック・アスも普通に強くなってしまい、これも感情移入を妨げた要因かと。
成長しているのだから仕方ないと言えば仕方ないのだが。

唯一の見所は悪役か。
ボスは前作の悪役の息子で、「マザー・ファッカー」という放送禁止用語そのものを名乗るキチガイ。
コイツが親の遺産で集めたトンデモな連中が常軌を逸していて面白い。
特にマザー・ロシアなる女性が、凶悪なパワーをもっている。オルガ・カーカリナというウクライナ出身のボディー・ビルダーが演じているのだが、見た目からして迫力が凄い。是非とも007シリーズにも出て頂きたいところだ。

前作の悪役は普通の人間だったが、今作はスーパー・ヒーロー寄りとも言える。
もしかすると、それも面白くなくなった一因かも。
ただ、それぞれのキャラクターは面白い。

あまり見るべき所はないけれど、前作を見ていればそれなりに楽しめる?
☆☆★★★

キック・アス - 無學童子の事件簿

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キングスマンを気に入ったので、同じコンビが作った映画をぜひ観てみたいと思った。

映像も言葉遣いもかなりデンジャラスな映画なので、評論家的には賛否両論だったらしい。
なんと言っても、小学生の女の子がどぎつい言葉を使いながら、かなり残酷に人を何人も殺してゆくわけだから、それも当然と言えるだろう。

デイヴ・リゼウスキはパッとしないギークの少年だが、ある時ネットで買ったスーツを着てスーパーヒーロー活動を開始。ただ、何のスーパーパワーも持っていない彼は、自動車泥棒に出会ってあっさり刺されて病院送りになってしまう。
その後もヒーロー活動を続けていた彼は、三人組に襲われていた男を男を、ボコボコにされながら救い、見物人に「キック・アス」と名乗る。
その様子をYouTubeにアップされ、キック・アスは一躍時の人となる。
学校一の美少女のケイティが麻薬の売人に悩まされていることを知ったデイヴは、キック・アスとなってそのアジトに乗り込むが多勢に無勢。
そこへ、ヒーローのコスチュームを着た少女(ヒット・ガール)が現れ敵を次から次へと殺してしまう。ヒット・ガールの父ビッグ・ダディも現れ、キック・アスに困ったことがあれば呼んで欲しいとつげて去ってしまう。

この映画の最大の魅力は、クロエ・グレース・モレッツ演じるヒット・ガール。
11歳の彼女は幼少の頃から、父ビッグ・ダディにスーパー・ヒーローになるべく特訓を受けていて、銃器を使いこなしあらゆる敵を殺してゆく。
言葉遣いもかなり酷く、放送禁止用語がポンポン出てくる。
何というか、12歳の可愛らしい少女とのギャップが良いんだよな。

キングスマンもそうだったが、当然のことながらかなりグロい殺戮シーンがある。
ただ、痛快な音楽で、残酷さを感じさせない。

もう一つキングスマンと共通するのが、パッとしない普通の少年でも、大それたことをやり遂げられるということを描いている点。

僕が個人的に理解に苦しんだのは、あまりにも自警団礼賛な雰囲気。
警察に任せると言うことを、アメリカ人は良しとしないのだろうか。

いずれにせよ、文句なく痛快で楽しめる映画。
そしてクロエ・グレース・モレッツが可愛い。
☆☆☆☆★

ちょっとだけトリビア。
"kick ass"とはケツを蹴るという意味。"She is kick ass"だと、「すげえ(強烈な)女だ」と言った意味になるそうだ。
"hit girl"は"hit man"(殺し屋)から。

批評家の酷評通りのトンデモ映画。
でも、気楽に見られるって言う意味ではアリなのかな。

チャーリー・モルデカイは英国貴族だが、裏でインチキ美術商を営んでいる。
800万ポンドの税金の滞納で首が回らない状況だが、彼自身はあまり関心が無く、最近生やし始めた口髭ばかりが気になっている。
そんなある日、ゴヤの幻の名画が盗まれ、MI5から捜索の依頼を受ける。
ここから先はWikipediaでも見て欲しい。

映画としてはかなり水準以下の物だが、キャラクター描写は面白い。
ジョニー・デップ演じるチャーリー・モルデカイの特異な風貌と言動は言うに及ばず、ポール・ベタニー演じる絶倫且つ不死身の用心棒や、グウィネス・パルトロー演じる、超美人なのにがめつくしたたかなモルデカイの妻、ユアン・マクレガー演じるMI5の敏腕警部補など、一癖も二癖もあるものばかり。

ストーリーそのものは面白くないが、そこかしこに英国流のブラック・ユーモアが効いている。
下品な下ネタがバンバン出てくるが、嫌悪感を抱くほどではない。

まあ、暇なら見ても良いかなという感じ。
☆☆★★★

原作は角川文庫から出ており、4冊のシリーズ中の1作目が本作の原作。
筆者は未読だが、評価を見る限りジョークを理解するためにかなりの知識が要求されるようで、ハードルは高そうな感じ。
なお、かつてサンリオSF文庫で出た『深き森は悪魔のにおい』は3作目になるらしい。
何作も日本で出版されるのだから、きっとハマる人はハマるのだろうな。

「フィールド・オブ・ドリームス」。
言わずとしれた名作。
☆☆☆☆☆

いつが最初で、何回観たのか全く分からない。
アメリカでは、「オズの魔法使い」や「素晴らしき哉、人生!」と共に、親が子供に見せる映画らしい。

この映画って、色々な要素があるけれど、ファンタージでもあり青春映画でもあり。

"If you build it, he will come"(それをつくれば、彼はやってくる)で始まる。
この言葉で収益源であるトウモロコシ畑を潰して「それ」である野球場を作る。
で、誰が来たかというと、シューレス・ジョー。
これはまさしくファンタジーだ。

監督はフィル・アルデン・ロビンソン。
誰?と言う感じ。
この作品以外ヒットしていないのだ。
ジェームズ・ホーナーの音楽も素晴らしい。ただ、彼の他の素晴らしい音楽はやかましいのに、この作品ではとても静かで効果的。
これらも奇跡と言えよう。

この作品を理解するためには、バックボーンを知らなければならない。

まずアイオワという場所だが、ここは「ザ・アメリカ」とでも言うべき場所。
アメリカ人が憧れる田園風景が拡がっている。
そして政治的には、共和党と民主党の支持が拮抗した激戦区である。
大統領選では、民主・共和両党の予備選挙が最初に行われることで注目されている。

主人公のレイ・キンセラは1952年生まれ。
つまり、ベビー・ブーマーの世代。かなり末期ではあるが。
この世代の特徴は、ベトナム反戦争、ヒッピー文化、ウーマン・リブ、そしてマリファナ。
父親のジョン・キンセラは1896年生まれ。第一次大戦で欧州戦線で戦っている。
この世代は沈黙の世代と言われている。
沈黙の世代とは、まさしく、自分の経験を黙して語らなかった世代だ。
大戦での悲惨な戦争経験がそうさせたと言われている。

ベビー・ブーマーの世代の運動は、まさしく黙して語らぬ自分の親世代に対する闘争だった。
ベトナム戦争や、アメリカ社会の荒廃は、自分の親世代の責任であると考え、反抗したのだ。
沈黙の世代が大戦について雄弁に語っていれば、ベトナム戦争は防げたはずだ、という主張だ。
そこには大きな溝があったはずだ。

作品中、テレンス・マンという隠遁生活を送る黒人ジャーナリストが出てくる。
原作では、「ライ麦畑でつかまえて」で有名なサリンジャーと言うことになっている。
(実際のサリンジャーは激怒し、映画では変えざるをえなかった)
サリンジャーは第二次世界大戦に従軍し、精神を病んでしまう。
戦後、その経験からか、極端にリベラルな小説を多数発表し、保守層から激しい反発を喰らうことになる。
実際、保守的な地域において、彼の作品は「図書館に置くべきではない」とする排斥運動があたという。
映画でも、テレンス・マンの作品を図書館から排斥する運動が描かれている。

この映画を、背景を知らずに一見して分かるテーマはこんな物だろう。
・これはアメリカの野球の、特に失意のうちに野球を去らなければならなかった野球選手の物語である。
・これは良き行いをすれば必ず報われるという、アメリカン・ドリームの物語である。
・これは父と子の物語である。

そして背景を知ると、本当のテーマが見えてくるはずだ。
アメリカ人が語り継ぎたい映画であるというのも、頷ける話である。

これだけテーマを多重にしてしまった映画が、破綻なく整ったこと自体、僕には奇跡と思えるのだがいかがだろうか。

さて、主演のケビン・コスナーはこの作品の当時は未来を嘱望された俳優だったが、この後鳴かず飛ばずの上スキャンダル多発でぱっとしない。
奥さん役のエイミー・マディガンは「ストリート・オブ・ファイヤー」で有名になった女優。全然美人ではないが、あの強そうな感じがこの作品には素晴らしかった。
シューレス・ジョー役のレイ・リオッタは、野球が下手で、最後のシーンでケビン・コスナーとキャッチボールをしていたが、壮大なロングショットなので失敗すると大変な損害と言うことで、緊張したようだ。
テレンス・マン役のジェームズ・アール・ジョーンズは言わずとしれた名優。僕にとってはトム・クランシー原作の映画シリーズで演じたCIA副長官のグリーア提督が印象的。
ムーンライト・グラハムのバート・ランカスターは本作が最後の映画になったようだ。

あの「アルフ」に新作報道 早くも「所ジョージ吹き替え」願う声が

80年代の米人気ファミリードラマ「アルフ」のリブート版が米ワーナー・ブラザース・テレビジョンによって進められている。米ハリウッド・リポーターなどが報じている。

日本でも放送され、アルフの吹き替えを所ジョージさんが演じるなど人気がある作品で、ツイッター利用者からも反応があがっている。

吹き替えは所ジョージさん一択?
「アルフ」は、カリフォルニア州郊外に住むタナー家に居候する、毛むくじゃらの宇宙人アルフが繰り広げる騒動を描いたコメディ作品。96年にはスペシャル版「アルフ ファイナル・スペシャル」が制作された。

日本では1989年から95年までNHKで放送。ファイナル・スペシャルは2010年になってから放送された。

日本語吹き替えはアルフをタレントの所ジョージさん、タナー家の主であるウィリー・タナーをコメディアンで俳優の小松政夫さんが担当した。

報道によると、アルフが新たな家族の家に転がり込む話とのこと。また、オリジナルで制作総指揮を務めたトム・パチェットさんとポール・フスコさんも参加予定だという。

プロジェクトは18年5月から始まっているというが、まだ初期段階。

このことは日本でも映画専門情報サイト「シネマトゥデイ」などが伝えているため、ツイッター利用者から「アルフ おかえりなさーい」など好意的な反応が寄せられた。

放送予定などの具体的な情報はないが、早くも吹き替えに対して、

「ぜひ吹き替えは所さんで!」
「もちろん所ジョージだろうね?!」
「吹き替えは絶対所さんで!!」
など、以前と同じく所さんを希望する声があがった。

所さん起用の可能性は...?
所さんは、日本のレギュラー放送が終わった95年以降アルフと疎遠であったわけではない。09年には、小松さんと共に公開アフレコを行ったほか、10年に日本で初放送されたファイナル・スペシャルにおいても、吹き替えを務めている。そのため、リブート版が日本で放送される場合、所さんが起用される可能性はあり得る。

また、新ストーリーとなることに対し、「リブートとか言わず、素直にあのままの続編を作ってくれ」といったタナー家を舞台にした物語を希望する声も見られた。

米TVLineによると、現在、脚本家を探しているという。

これ、楽しみだなぁ。
NHKでよく見ていて、DVDも買ってしまった。
所ジョージの吹き替えは、なんとなくやる気の無い棒読みな感じが作品と合っていて良かったんだよ。相手が小松政夫というのも、掛け合いが楽しめた。

僕は元々は字幕派なのだ。
でも実のところ、吹き替えも好きだったりする。
刑事コロンボは小池朝雄の吹き替えで育ったので、ピーター・フォークのダミ声はどうしても違和感がある。

吹き替えの世界の声優さんは、アニメの方ももちろんいるが、新劇の俳優さんが多い印象。
新劇の場合、脚本はもちろん外国語からの翻訳なので、ある意味では適任なのかもしれない。

日本語と外国語は言語体系はもちろん、文化も違うので、翻訳はどうしても不自然な物になる。
吹き替えの不自然さというのは、外国人が日本語で外国の内容を話しているから。吹き替えのセリフがわざとらしく大げさに聞こえるのは、吹き替え声優さんがわざと大げさに話していることもあるが、元々のセリフが日本的でないからこそ、と言う部分もある。
字幕だと気にならないのは、それが大げさなのかそうでないのかさっぱり分からないから。

字幕の場合は役者の声が聞こえるけれど、同じ画面の中で文字と役者の動きを同時に追うのは、実は結構難しい。
人間が1秒間に認識できる文字は2-4文字と言われているが、声の場合は明らかにそれ以上である。
元の情報から欠落が起こることは間違いない。
これは推測だが、「ソーシャルネットワーク」でのマーク・ザッカーバーグはとんでもなく早口なので、字幕での情報量は半減以下だと思われる。
よく戸田奈津子氏の誤訳というのが話題に上がるが、字幕は字数に制限があるし、使える文字にも制限があるので、やむを得ない部分も多い。
劇中の専門家などの言葉遣いは監修して貰うこともあるようだが、さりげなく出てくる部分では、見落としもあるようだ。字幕翻訳の専門家は字幕翻訳の専門家なのであって、他の分野の専門家ではないから、誤訳がでるは避けられない。

誤訳に関しては、形態が違うとは言え翻訳である以上、吹き替えも避けられない。
あるいは誤訳ではないが、日本人に理解出来ない表現を超訳するのは、字幕も吹き替えも同様だ。

吹き替えには、実は元には存在しないセリフの追加もあったりする。
公式がうるさいから最近の物ではあまりないようだが、古いテレビドラマなどでは、例えば広川太一郎などがとんでもないセリフを付け加えていたりするので、それも吹き替えの魅力であろう。

ダーティ・ハリーの吹き替えは山田康雄が有名だが、ローハイドの時代から観ていた年輩の人はそれで納得するのだとしても、ルパン三世のイメージで固まってしまっている僕などは、ダーティ・ハリーのクリント・イーストウッドがルパンに見えてしまう。

海外の映画やドラマは字幕版では作業しながら観るのは難しい。吹き替えであればとりあえず音は耳に入ってくるので、画面から少し目を逸らしても大きな問題にはなりにくい。
なので僕は最近では、何度も観ているようなものは吹き替え版で観ることが多い。
自分の大好きな物で劇場とソフトの両方で観る物、ホームズやスター・トレックや007などは、劇場では字幕で観てソフト化された時に吹き替えで観る。
Amazonプライムビデオなどで、気軽な感じで「ちょっと良いかも」程度で観る映画は、吹き替え版があればそちらを選択する。

最近では「キングスマン」は吹き替え版を観た後に字幕版を観ている。
それは何故かというと、物語からエグジーの話し方が絶対にかわっているはずだ、と思ったから。
英語のリスニング能力はほぼ無いけど、そういうこと頃を意識して聞くとなんとなくだが違いは分かる。
後半でアーサーの裏切りが発覚するシーンでは、絶命する直前のアーサーは普段のクイーンズイングリッシュではなく、ロンドン下町なまりになっている。これは非常に分かり易い。
ヴァレンタインが話しているのは米語である。

007シリーズではショーン・コネリーはスコットランド訛り、ジョージ・レーゼンビーはオーストラリア訛り、そしてロジャー・ムーアはクイーンズイングリッシュだったり。
同一人物なのに顔も訛りも変わるのは、一流のスパイだからだろうか。

吹き替えでも字幕でもやや興ざめするのは、画面上にチラッと出てくる何かを、字幕が紹介するところ。行き先の標識などであれば問題ないが。
例えば、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の冒頭シーンでは、マーティがドクの家を訪ねた時、マーティのスケボーがアルミのケースにあたるのだが、そのケースに「プルトニウム」という紹介が出てしまう。あるいはドクがタイムマシンの実験を行うショッピングモールにマーティが入って行く時、「ツイン・パインズ・モール」という紹介がでる。
これらは多分英語圏の人はあまり気に留めず、あとで「伏線だったのか!」と気づくわけだが、吹き替えあるいは字幕の観客は最初から何か大事なことだと分かってしまうのである。

映画の吹き替えというと、以前はテレビの洋画劇場番組の為に制作されるのが普通だった。
古い人気作品の場合、放送するテレビ局ごとに吹き替え版が作られる。この為、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の吹き替え版は4種類以上ある。
ところが最近は地上波では洋画番組が減ってしまった。制作や配給側で吹き替え版を制作して劇場で字幕版と同時に公開されることも多くなり、テレビ放映やパッケージソフトでも、こう言った公式吹き替えが収録されることになったので、比較的最近の映画では複数の吹き替えが存在することがなくなってしまった。同じシーンが版毎にどう違うか見比べるような楽しみがなくなってしまい残念。

映画は二時間前後の物が多いが、洋画劇場番組は実質90分程度。と言うことはかなりカットしていると言うことになる。
最初にテレビで観て、後にパッケージソフトなどで完全版を見ると、「こんなシーンがあったっけ?」ということがあるのはこの為。
ソフトの中には「テレビ放送時の吹き替え収録」と言うのがあって、その場合テレビ放送時にカットされた部分の吹き替えはない。比較的古めのソフトだとその部分は字幕対応になるが、最近の物だとオリジナルの声優本人か、亡くなっている場合などは代役が補っている物がある。字幕で補っている物はカットの仕方が分かって大変面白い。3時間近い映画が半分くらいになっているのに、物語として成立しているのだから。
違う声優が代役している場合は、例えば小池朝雄のコロンボを石田太郎が埋めたように、声質がそっくりな人が担当していることがあり、大変興味深い。
本人が埋めている場合でも、当時と収録機材がかわっていることによる変化や、加齢などによる微妙な声質の変化を読み取って楽しむ人もいるようである。さすがに僕はそこまでは分からないが。

本当は、せめて英語の映画くらいは、元の版で観るのが良いのだろうが、吹き替え版も字幕版もそれぞれに魅力もあるものなのである。