政治の話

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0287.jpg最近、政治的ツイートばかりしている。
元々政治的であり、その為にビール仲間とも絶交に至ったわけで、不思議では無いのかもしれない。
しかし、ここまで数多くの政治的発信をしたことは今までなかった。

理由は自分の中では明確だ。

それは、現時点でのオールドメディアとSNSでの状況が、あまりにも酷いからだ。
元々酷かったが、昨年から世間を騒がせているモリカケ問題は常軌を逸している。
通常政治的疑獄と言えば、ロッキード事件やリクルート事件のように、初動の段階でかなり疑わしい物であり、結果としてかなりの数の政治家や財界人・官僚が検挙される。
ところがモリカケに関しては、追及開始から一年以上経った現在でさえ、政治家の検挙はない。
安倍総理を狙いたいのだろうが、肝心の本人は極めてクリーンな政治家であり、金にまつわる話が全く出て来ない。
確かに、政治家以外の人は逮捕されはしたけれど、それは本筋とは別件なのだ。
そういった状況であるにもかかわらず、オールドメディアは繰り返し繰り返し酷い主張を続け、新しくもない出来事をさも新しい事実のように繰り返し報道し、一年以上が経ってしまった。

こう言った状況そのものも、彼らに言わせれば独裁政権の陰謀なのかもしれない。
しかしそういった言説は、もはや論理的でも科学的でもない妄言そのものである。

「はい、論破!」というのは僕には下品に思えて好きになれない。
政治的な言論とは相手を負かすことが目的ではないからだ。
論争の中でお互いの誤りは認め、共通点を探り出し、妥協点を見つけることが目的だ。
「修復し得ない決定的な対立」と言うものを避けるのが政治なのだ。
つまり、政治とは妥協の産物なのである。

しかし、妥協とは難しいものだ。
米国で茶会党が注目された時に感じたが、極端な主張をする連中は妥協を許さない。
あることに対して極端な賛成派と極端な反対派がそれぞれ多数いるとしよう。
政治家が譲歩して中間的な案に纏まった場合、極端な賛成派と極端な反対派はそれぞれが支持していた政治家に対しては、「大幅な譲歩をした腰砕け」と映るだろう。
中道右派・左派からは「現実的な妥協をした」と見なされたとしても、極端な人達からは許せないと映るはずだ。
だから、極端な人々が多数の支持を占めることとなった場合、政治家は妥協をしなくなる。
そして世の中の課題は反対か賛成かしかいないようになり、極めて息苦しい状況になる。

多くの人にとって「大筋賛成、少し妥協」という範囲に収めることが幸せな政治なのだと私は思う。

極端な言説はインターネットを介して顕在化してきたように見える。
そういった言説がネット以前になかったとは思えないが、個々人がマスメディアを通さずに発信出来るようになったことで、一定の力を持つようになったと思える。

極端な言説は非常に耳障りが良いかもしれないし、あるいは反対に断固拒絶すべきことかもしれない。

しかし、改めて考えて欲しい。自分にとって耳障りの良い世界は、他人にとってもも意味触り理の良い世界か、と。

多くの人が幸せに感じると言うことが、世界で最も望ましい状態である。
しかし貴方にとって最良の正解は、他人にとって最良の世界か、と。

全部の人がベストよりもベターを選び、常に誰かに少しだけ譲歩し続けることが社会全体としては幸せになるのではないだろうか。

同時に、リアリズムも大事だと指摘しておきたい。
多くの人が幸せを感じられる状況が政治の目指すべき先だとしても、多種多様な価値観の中でそれを具体的な政策に落とし込むことは不可能だ。
ならば、「多くの人が十分な収入を得て、肉体的自由を持つ社会」というのであれば、具体的に政策として実現可能であり、ある程度多くの人はそれで幸せと感じてくれるのではないだろうか。
従って目指すべきは、「経済指標の向上」が絶対の政策目標となる。

第一次安倍政権時代も含め、野田政権以前の政権では経済的に非常にまずい政策を採り続けてきた。
その為、私は安倍総理が返り咲く際の総裁選では、別の候補を応援していた。
ところがいざ第二次安倍政権になってからというもの、消費税を8%に上げた後の経済鈍化を除けば、多くの経済指標は好転しているのだ。
安倍政権の政策は気に入らない点も多々あるものの、最も重要な経済という面で、一定以上の成果を上げていることは間違いない。
近年の政権の中ではもっともパフォーマンスが高いと言っても過言ではない。

この一点を以て、安倍総理は現在最も政権を任せられる政治家と言えるのである。

画像引用元 日本経済新聞